データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 「日本とタンザニア・「元気なアフリカ」をつくるパートナー」高村正彦・外務大臣

[場所] タンザニア
[年月日] 2008年1月4日
[出典] 外務省
[備考] 
[全文]

(2.645億ドルの対アフリカ人道危機・平和構築支援策とTICAD IVへの招待)

 ハムジャンボ?

 ジナラングニ・マサヒコ・コウムラ (Jina langu ni Masahiko Koumura)。

 ニメトカ・トウキョウ (Nmetoka Tokyo)。

 皆様お集まりくださいまして、どうも有難うございました。

 本日はまず一つニュースといたしまして、新しく日本がアフリカ各国へ向け実施する予定の支援パッケージをご紹介します。

 その次に、今年の5月末に日本が開きます大きな会議についてお話しようと思っています。キクウェテ(Kikwete)大統領には、これにぜひともお越しをいただきたいと願っております。

 最初に、新しく手がける予定の協力施策について申し上げます。

 我が国は、アフリカの大地に平和を定着させ、人道的悲劇を少しでも和らげるため、各国向け総額で約2億6450万ドルの「人道危機・平和構築対策支援」を実施する予定です。タンザニア通貨に換算すると、約3100億シリングの規模になります。

 支援のパッケージは、昨年アフリカの随所を襲った旱魃や洪水への対応を含みます。またこれを機に、各地にあるPKOセンターへの協力を始めます。ピースビルダーを養成しようとするアフリカ自身の努力を、この際日本として支援したいと考えたからであります。

 貴国にとっても無縁ではありません。タンザニアにいるコンゴ民主共和国難民、ブルンジ難民の状況を改善するため、支援の一部が向かいます。タンザニア・コンゴ民主共和国間の、国境管理能力を向上させる施策も含んでおります。

 次に、キクウェテ大統領をお招きする催しはアフリカ開発会議、TICADといいまして、日本が5年に1度開くものです。今年は第4回目のTICAD IVでして、横浜という東京に隣接する港町で開きます。TICADについては後でもう少し述べさせていただきます。

 そのほか本日のスピーチは良い機会ですので、日本はなぜアフリカ援助を続けようとするのか、私なりの考えを述べてみたいとも思っています。「オーナーシップ」、「パートナーシップ」という言葉が、TICADプロセスの中で根づいたことを皆様とともに確かめたいと存じます。皆様には、日本のアフリカに対する関わりが長期的視野に立ったものだということと、人間同士の触れあいを大切にする性質のものだという点を、ご理解いただきたいと願っております次第です。

(深まる日本とタンザニアの関係)

 何はさておき、私自身、今回貴国を訪れることができまして大変嬉しく思っております。

 人類発祥の地ですとか、キリマンジャロの国、最近では、日本にシーラカンスの冷凍標本を送ってくださった国というふうに、日本人がタンザニアの情報に接する機会もとみに増えてまいりました。

 皆さんから2体のシーラカンスを頂いた日本の東京工業大学は、去る12月22日に解剖を始めました。このとき、生物学に造詣の深い秋篠宮殿下が立ち合われましたことを、皆さんにお伝えいたします。進化の過程に関し興味深い結果が判明するのではあるまいかと、私も期待をいたしております。

 明日はティンガティンガ(Tingatinga)の工房を、夫婦で見せていただく予定です。在京タンザニア大使のムタンゴ閣下は一昨年と昨年、東京でティンガティンガ絵画の展示会を開かれました。おかげで日本でも、この素朴なうちに力強さを秘めた絵を好む人が着実に増えております。ムタンゴ大使のご努力に、敬意を表したいと存じます。

 また今度の旅では、「The Unique Sisters」という3人姉妹のボーカルグループがタンザニアにいて、若い人から随分と人気を博しているのを知りました。3人とも在日経験があり、日本語が達者なのだそうで、そのユニークさにはびっくりいたしました。

(「元気なタンザニア」の登場)

 私は、「少林寺拳法(Shorinji Kempo)」という武道をいたします。当地にもダル・エス・サラームを含め3カ所に、少林寺拳法連盟の支部があるのだそうであります。ところで私は子供たちに拳法の指導をするような機会があると、よくこんなことを言います。

 武道でも人生でも、成功するのは意外と簡単だ、ということであります。

 それにはとにかく、始めることです。始めない限り、成功の可能性はゼロだからであります。

 始めたら、今度はやめないこと。やめても、成功する可能性は無になるからです。

 そしてやめずに続けていると、そのうち成功するよと申します。

 すると大概の子どもたちは、そんなに簡単なのだろうかという顔をします。もちろん、簡単にできることではありません。成功するのは本当は難しいのだが、ともかく一歩を踏み出してほしいわけであります。

 ところがタンザニアの歴史を拝見し、私は、似たことを言いそうな人たちがここにいたと思いました。

 皆さんが続けておられる貧困、HIV・エイズとの闘いは、これから長い道のりが続くでしょう。しかし例えば私は、皆さんがハンセン病をもうほとんど抑え込まれたのを知っております。教育に関しては、公立小学校の授業料を5年前から無料になさいましたし、国家予算の中で、教育にいつも多くの金額を割いておられます。

 つまり皆さんは、すでに多くのことを始めていらっしゃいます。始めた後、続けておいでです。私流の方程式に当てはめますと、これは、タンザニアの成功を高い確率で予測するものであります。

 経済成長も同じことです。6〜7%という今のペースで成長を続けていくと、10年後にタンザニア経済は倍になります。ですから私は、タンザニアの未来は明るいと存じます。「元気なタンザニア」を、今や自信を持って語るべきときが来たと信じるものであります。

(TICAD IVからG8サミットへ)

 本年のTICAD IVには、皆さんと相談して決めた標語があります。それが「元気なアフリカを目指して・希望と機会の大陸」というものです。この際アフリカの「ブランドイメージ」を、明るいものとして定着させたいという願いを託しています。

 TICADは、他の援助国や多くの国際機関が参加する開放的、包括的で、透明なプロセスです。そのため幅広いパートナーシップをつくれることが、TICADの一番いい点だと思っています。本年はTICADのそんな特色を存分に活かし、「アフリカが元気だ」という認識を世界中に広めます。これは、私からの約束であります。

 TICADはいま、一段の飛躍を遂げるべき時期にきております。アイデアがアイデア倒れに終わらないよう、そして5年後、10年後の中長期的課題を上手に立てられるよう、いつも目を見開いていられる仕組みが必要です。TICAD IVが帯びる1つの使命とは、それを打ち出すことであろうと思っています。

 そしてTICAD IVのたいまつは、1カ月後、日本の北端にある北海道という島の、洞爺湖という湖のほとりで開くG8サミットに手渡さねばなりません。「元気なアフリカ」がもっと元気になるように、貧困の撲滅、ポスト・コンフリクトの平和構築、それから砂漠化の防止や森林保全といった、アフリカの課題であり、人類全体の課題でもあるようなチャレンジに、世界で立ち向かっていかねばなりません。

 本年はミレニアム開発目標が達成期限とした2015年へ向け中間点に当たりますから、18あるターゲットがみな達成できるよう、喝を入れ直すことも大切です。早い話が、感染症対策や母子保健を改善させないと、アフリカは真の意味で元気になりません。私はアフリカにおける保健の状況を良くするため、既に具体的な提言をいたしましたが、そういういろんな気運を盛り上げるところに北海道・洞爺湖サミットの使命があります。

(TICADの創設意図・「元気なアフリカ」を語れるまで)

 日本がTICADを始めたのは1993年、今から15年前のことでありました。当時はアフリカ諸国の側にも、援助国サイドにも、「援助疲れ(Aid Fatigue)」を言う人がありました。「アフリカ悲観論(African Pessimism)」も耳にしました。私などはアフリカのマクロ経済実績がアジアより良かった時代を覚えておりますが、その後生じた明暗の対比から、アフリカの何が悪かったのか、大いにいぶかる向きがあったと記憶します。

 けれども、アジアが元気になったのはそんなに遠い昔のことではありません。一つ確かなことは、日本からの経済協力や技術協力、投資を支えとし、アジアは離陸をしたということと、援助される側だったアジアの諸国には今や、アフリカ開発のパートナーとして貢献する国が現れていることであります。

 アジアでできたことは、アフリカにできないはずはないと私どもは確信しておりました。アジアの成長を体験した日本には、それを語る責任があると考えたのであります。アジアの経験は、アフリカと大いに分かち合うべきだとも、強く思っておりました。

 そうした点に疑いを持たなかったからこそ、日本は15年前にTICADを始めたのであります。またアジア・アフリカ協力の大切さを、当初から強調してきたのでもありました。

 いまタンザニアでは、高収量のアジア稲と乾燥に強いアフリカ稲を掛け合わし、双方の特性を併せ持たせた「ネリカ米(NERICA: New Rice for Africa)」が徐々に普及しています。これくらい、アジア・アフリカ協力の意義を象徴するものはありません。アジアの離陸に大きな役割を果たした「緑の革命」が、ネリカによってアフリカで実現すれば、素晴らしいことだとも思います。

 ともあれ、いつか「元気なアフリカ」を語れるときがきっと来ると信じてTICADを始めた私たちは、結局間違っていなかったのでありました。

(TICADの実績・オーナーシップとパートナーシップ)

 今日に至る日本とTICADの達成には、いくつか特筆できるものがあったと思っております。

 TICADは当初から、民間セクターを巻き込む大切さを主張しました。開発と、貿易や投資はクルマの両輪の関係にあること、つまり経済を伸ばすことで、貧困を減らすことが重要だということを、一貫して強調してきました。アフリカ諸国自身に貧困と戦う力をつけるには、人材の育成やキャパシティー・ビルディングが必要だとも言ってきました。今では開発援助における通説となったこれらの考え方は、TICADにおいて日本が粘り強く言い続けてきたものだったのであります。

 感染症と取り組む大切さを、G8サミットは2000年に初めて取り上げています。この時ホスト国だったのは、日本でした。後に、グローバル・ファンドとして結実することになります。この点は、ロックグループ「U2」のボノさんに、日本はえらく評価されました。

 平和の定着には、一人一人の個人に恐怖や欠乏から自由になる力を与えるほかありません。これは「人間の安全保障」として、我が国が主唱してきた考え方でした。

 この間、皆様はTICADが唱えた「オーナーシップ」の考え方に沿い、自らの開発計画としてネパッド(NEPAD)を発足させ、また、アフリカの統合を推進するためOAUをAUに改組なさいました。

 いま、「オーナーシップ」という言葉を用いました。これには「パートナーシップ」が対になります。

 アフリカにおける開発や国造りの物語を、援助国は一章たりとも、書いたり、演じたりすることはできません。途上国は自らの国造りに自分で責任を、「オーナーシップ」をもたねばならないのだと思います。日本のような援助国は、オーナーシップを発揮する途上国と、よいパートナー関係を結ぶべきだと考えました。

 「オーナーシップ」と「パートナーシップ」という、2つの必要を、TICADは声を大にして主張したのであります。

(日本が考える開発援助・自助努力を促す思想)

 開発援助とはどんなものであるべきか、日本には一つの思想があります。

―開発援助とは、チャリティーであってはならない。努力すれば必ずいいことがあるという確信を、アフリカの人々自身が我と我が身で実感しない限り、息の長い開発は始まらず、したがって貧困からの解放はありえない。

―飢えに苦しむ人々には、パンを与えるべし。しかし未来を作る人とは、土を耕し、麦を育てる努力をする人である。開発援助とは、耕す人々の助けとなることだ―。

 このように、自立へ向けて自助努力を重んじることこそは、日本人がみな、心の底から信じてきた考え方であったと思います。

 TICADにもし最大の功績があったとしたら、私はこの考えを「オーナーシップ」の思想と名づけ、開発援助の主導理念として世界に広めたことであったに違いないと思っております。

(タンザニアにある強いオーナーシップ)

 そして私はタンザニアくらい、「オーナーシップ」を強く発揮してきた国もないのではないかと感じております。

 例えば皆さん方が続けられた「貧困政策週間(Poverty Policy Week)」の話し合いなど、よい例だと思います。地方政府代表やシビルソサエティー代表を含む政府内外の関係者、ドナーを集めて1週間集中的に話し合い、翌年以降の開発政策に活かす試みだとのことでした。

 ドナー国と受入国が援助に重複やムダがないよう調整するいわゆるハーモナイゼーションの努力でも、タンザニアは諸国の先頭を走っておいでです。

 共通して見ることができるのは、自分たちの将来設計を他人任せにせず自分で考え、そのかわり、ドナー側には十分なアカウンタビリティーを示そうとする態度だと思います。これは、開発に関しオーナーシップを明確に意識しているからこそ、できることではないでしょうか。

 このような国となら、ドナーは進んでパートナーシップを強くしようと思うに違いありません。

 日本とタンザニアの関係がまさしくそれでありまして、私どもは貴国が進めておられる貧困削減計画(National Strategy for Growth and Reduction of Poverty)、いわゆる「ムククタ(MKUKUTA)」計画を支援すべく、新たに約65億シリング、560万米ドル(6億3千万円)をご提供するつもりであります。私は明日、メンベ国際協力大臣(Minister for Foreign Affairs and International Cooperation, Bernard Kamillius Membe)にお会いしたあと、本件の交換公文に署名いたします。なお申し添えますと、同時に約73億シリング、630万米ドル(7億1千万円)相当のコメもご提供いたします。

(「大阪研修」・日本で学んだ2300人)

 それから日本のJICA(Japan International Cooperation Agency)がタンザニアとの間で進めている通称「大阪研修」のことにも、この際触れないわけにまいりません。

 これはタンザニア本土に21ある各州から行政長官(RAS: Regional Administrative Secretariat)をお1人、県行政長官(DED: District Executive Director)各お2人を日本の大阪にお招きし、地方行政について研鑽を積んでもらおうとする計画です。5年がかりでこのような事業が進んでいることほど、私は日本とタンザニアの間にある信頼の強さを証明する事実はないと思います。

 しかしそれ以上に感銘を受けますのは、参加した皆さんが、タンザニア帰国後に自発的なセミナーや討論会を開き、日本の経験をどうタンザニアに当てはめるか、真摯な検討をなさろうとしていることであります。「オーナーシップ」において強い意識がない限り、できることではないだろうと思う次第です。

 このようにして日本に研修に行かれた方は、きっと今日この会場にもおいででしょう。2年ほど前の数字ですが、日本研修の経験者は累積で2300人を上回り、国会議員や政府の要職に就いておいでの方も大勢いらっしゃると聞いています。その方たちがJATA(The JICA Alumni Association of Tanzania)という同窓会組織をつくり、10年以上活動を続けておられると聞いては、感銘の思いを新にいたします。昨年の9月にも、JATAはタンザニアの中学生を対象に、「日常生活にとって理数科はなぜ大切か」という題でエッセイを書かせ、コンテストをなさったと伺いました。私はまさしくこのような人と人とのつながりこそが、日本とタンザニアを幾世代にも渡って結ぶ紐帯であろうと信じて疑いません。

 初めに私は、日本のアフリカに対する関わりが長期的視野に立ったものだということと、人間同士の触れあいを大切にする性質のものだという点を、ぜひご理解いただきたいと申しました。それは、このような事実を念頭においてのことであったわけであります。

(日本はなぜアフリカと関わるか・情けは他人のためならず)

 開発のためには、言うまでもなく、道路が大切、港も大事です。産業化には、そうしたインフラが極めて重要です。事実日本は、魚市場や道路の建設を、ダル・エス・サラームでお手伝いして参りました。これはいずれも、タンザニア経済の長期的潜在性が花開くのを支援しようとしてのことです。日本のアフリカに対する開発援助には、非常に長期の視野があることをまずご理解ください。

 TICAD IVでは、アフリカ全体のインフラ整備について青写真がつくれるといいと考えております。そろそろ、アフリカをネットワークでつなぐ絵を構想すべき時期に来ていると思います。

 資源に恵まれたアフリカのことですし、貴国のように自立を目指して奮闘する国からなる地域でありますから、我が国のアフリカに対する長期投資は、必ずや将来大きな配当をもたらしてくれるでありましょう。

 しかしこれを逆に言いますと、日本は対アフリカ協力から、短期に直接の見返りを必ずしも求めておりません。そこも、皆さんには知っておいて欲しいと思います。アフリカが元気になり、世界全体が豊かになると、日本経済には間違いなく好影響が及びます。グローバル経済とはそのようなものですし、また日本は世界で10%の規模をもつ経済ですから、アフリカが良くなることで必ずいい影響を受けるわけであります。

 中でもいちばん長期的な投資とは、「人」に対する投資であろうと思います。その目指すところは一つに、日本流の開発援助思想を多くの人に広めたいということです。汗を流し、努力することを喜ぶ人に幸いあれと願う、考えを知っていただきたいと思います。そのことによって、日本人とはどんな者たちかよくよく知ってもらえるなら幸いであります。

 日本には、アフリカの皆さんにご支持をいただかなくてはならないテーマがいろいろとありますが、協力をお願いするにも、皆さんに日本人への信頼を持っていていただかなくては始まりません。

 日本では「情けは他人(ひと)のためならず」と申します。

 人に同情して助けることは、相手の利益だけになるのではない。いつか自分に、めぐりめぐってよい報いが返ってくるのだという意味です。

 なぜ日本はアフリカに関わろうとし続けるのか、最後に一つ、具体例を申し上げることにいたします。

(住友化学の蚊帳・網の目はなぜ4ミリ幅か)

 日本の住友化学(Sumitomo Chemical)が考え出した蚊帳「オリセット・ネット」のことを、今回は随分と知ることができました。タンザニアでも乳幼児死亡率のトップは、いまだにマラリアだと聞いています。住友化学は2年前、タンザニアで蚊帳を増産する決断をし、普及に弾みがついたと伺いました。ムククタ計画では、5歳未満の乳幼児がマラリアで死ぬ割合を8%以下にしようとしておいでです。日本企業がつくった製品がその実現のお役に立ち、工場で雇用機会も増やせるというのは、大変いい話であろうと思います。

 私はとくに、蚊帳の網の目を4ミリ幅にしたところが素晴らしいと思いました。

 ハマダラカ(Anopheles)の大きさは2ミリなので、これでは普通に考えますと、蚊帳の網をくぐってしまいます。かといって、網の目を2ミリにすると、今度は風を全く通しません。中に寝ている子どもは、暑くて眠れなくなってしまいます。

 蚊帳を開発したのは、住友化学で34年勤めてきた伊藤高明(Takaaki Itoh)という技術者です。伊藤さんは、何度も実験と観察を繰り返しました。挙句、4ミリがギリギリの幅だという結論に至ります。

 それ以上大きくすると、網の目をくぐって入り込む蚊が現れます。しかし4ミリにしておくと、蚊は自分より大きいはずの網の目に必ずぶつかってしまいます。そこで繊維にしみこませた殺虫剤に触れ、落ちてしまうのです。しかもこの幅ですと風は十分に入り込むので、中にいる赤ちゃんは安眠できるのです。

 私が申しました「情けは他人のためならず」の意味を、この開発秘話は雄弁に語っております。伊藤さんはきっと、「情け」にもとづいて、タンザニアの子供たちが蚊に刺されず眠れるよう懸命に試作と実験を繰り返したのだろうと思います。またそれによって生まれた蚊帳の事業規模は、巨大な住友化学の売り上げの中でごく小さな比率を占めるに過ぎないでありましょう。

 しかし見返りに、伊藤さんと住友化学は尊敬を獲得することができました。オカネでは買えない、大切な資産を手にできたといえると思います。まさに、めぐりめぐって、伊藤さんの情けはよい報いを得たのであります。

 皆様には、日本のアフリカ開発援助を流れる精神が、このようなものであることをもう一度申し上げ、「元気なアフリカ」をつくるパートナーとして日本はいつもアフリカにあり続けることをお約束し、私のお話を終えたいと思います。

 長い時間、お聞きくださりありがとうございました。

 もう一度、アサンテ・サーナ(Asante Sana「どうもありがとう」)