データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] ASEAN歴訪の中曽根康弘内閣総理大臣のクアラルンプール・スピーチ

[場所] クアラルンプール
[年月日] 1983年5月8日
[出典] 外交青書28号,398ー403頁.
[備考] 
[全文]

マハディール首相閣下並びに御列席の皆様

1.本日,英邁なマレイシアの指導者マハディール首相閣下の御臨席の下,日本とASEAN諸国との関係について所信を表明する機会を得ましたことは,私の大きな光栄とするところであります。

首相閣下

  首相閣下は,本年初頭日本を訪問され,卓越した識見と強い指導力をもったアジアの政治家として,多くの日本人に深い感銘を与えられました。マレイシアの今日の輝かしい発展は,マレイシア国民の弛まぬ努力とその指導者の献身的な活動により達成されたものであります。

 私は,この機会に,先ずマレイシア国民と首相閣下に代表されるマレイシアの指導者の方々に対して,深甚なる敬意を表したいと思います。

マハディール首相閣下,並びに御列席の皆様

2.世界は,今,21世紀という新しい時代を生み出す陣痛の苦しみを味わいつつあります。第2次大戦後に形成された世界秩序は変容の兆しを見せ,国際社会は,これへの対応を求めて懸命に模索を続けています。地球上のさまざまなの地域で,経済的停滞と政治的混迷がみられ,これにあえいでいるものも少なくありません。そういう中にあって,ASEAN諸国は,これまで一貫してダイナミックな発展の足取りを示してきました。相互の差異を克服し,その団結力をもって,地域の平和と安定を確保し,ASEANというユニークで調和のとれた一つの国際地域社会を創造しました。これは,その祖先と子孫に対して誇り得べき輝かしい成果であります。今やASEAN諸国のこの発展の軌跡は,開発途上国のみならず,多くの国々に,一つのモデルとして光と希望を与えているといえます。

 そのような成果をもたらしたものは何か―それは,今日,世界各国民の等しく注目するところでありますが,私は,この秘密を解く鍵の一端は,日本とASEAN諸国が共に位置するこの東アジアに共通する精神的,文化的伝統に求められると思います。差異よりも同一性,対決よりも協調,自己顕示よりは謙譲を選ぶという生活態度もその一例であります。この伝統は,分裂と対立を深める近代社会にとってきわめて貴重であり,その重要性はいくら強調しても強調しすぎることはないのであります。

 いみじくも,マハディール首相閣下は,その「東方政策」において,西欧の経験のみならず,アジア人自身からも学ぶべきだと述べられました。すなわち,閣下は,アジア人が自らのもつ潜在能力にめざめ,これを開発して行くことの重要性を指摘されたのであり,同じアジア人である私は,閣下の言葉に深い共感を覚えるものであります。

 こうしたアジア的価値についての再認識は近年我が国民の間にも著しく高まっており,ここに,日本人とASEAN諸国民の間の強い親愛関係が高まりつつある大きな理由を見ることが出きるのであります。

御列席の皆様

3.我が国は,ASEAN諸国との間に友好的で緊密な関係を維持することを、外交の最も重要な基本政策の一つとしてまいりました。私が総理就任直後,ASEAN諸国首脳に対し,ASEAN諸国との関係を重視している旨をお伝えし,また,ASEAN諸国訪問の希望を明らかにしたのは,この日本の基本的外交政策を継承すると共に,更にこれを発展強化し,日本とASEAN諸国との関係を新たな次元にまで高めたいと考えたからに他なりません。なぜなら,今日の世界情勢は極めて流動的であって,既存の路線の踏襲をもって安んじていてはならないからであります。

 今日,我々が経験している長期の経済不況は我々の予想をはるかに越えるものであります。それは,先進工業国の経済に大きな打撃を与えていると同時に,開発途上国の経済にも債務の累積や一次産品市況の低迷等はかりしれない深刻な影響を及ぼしており,あわせて世界経済を容易ならぬ苦境に陥れております。一部先進工業国においては,自由貿易体制を脅かすような憂慮すべき保護主義的傾向が台頭してきております。自由貿易体制こそは戦後世界経済の躍動的発展を可能ならしめてきた支柱の一つであり,私どもは,なんとしても,これを守らなければなりません。

 私は,外に対しては強く自由貿易体制の堅持を主張すると共に,内にあっては「世界に開かれた日本」を提唱,このような見地から一連の市場開放対策を推進してまいりました。我が国としては,ASEAN諸国等友邦の要望を十分に勘案し,一層の市場開放の努力を行う所存であり,具体的には,鉱工業品に関する特恵シーリング総枠を5割拡大したいと考えています。ASEANの繁栄なくして日本の繁栄なしとは私の信念であります。

 ASEAN諸国首脳は,開発途上国を悩ませている諸問題について,先進工業国が協調と連帯意識を基にして真剣に取り組んでほしい旨要望されました。私は5月末に米国ウィリアムズバーグで開催される先進国首脳会議には,これらの御要望を十分念頭におきつつ臨むことといたしたいと考えております。

 世界経済不況と並んで深刻なもう一つの問題は,世界の各地で,武力による平和の侵害が未だ跡を絶っていないということであります。東南アジアにおいては,未だヴィエトナム軍はカンボディアから撤退せず,多くの人々を苦しみの底に陥れています。このことは,同時に,ヴィエトナム自身をはじめとするインドシナ諸国の経済的発展のくびきともなり,これらの諸国の経済開発は,インドシナ戦乱後8年を経た今なお前途に曙光を見い出し得ていない状況にあります。私は,ヴィエトナムの指導者がこの現実を直視し,カンボディア領からの軍隊の撤退を決断し,ASEAN諸国と平和の内に繁栄の道を歩むよう強く訴えるものであります。我が国としては,カンボディア問題の平和的解決のためのASEAN諸国の努力を引続き支持すると共に,カンボディアに真の平和が訪れた暁には,インドシナの復興のためにできるだけの協力を行う用意があることをここに重ねて宣明いたします。

御列席の皆様

4.平和について言及したこの機会に,日本が如何にして自らの平和と存立を確保しようとしているかを,ひと言申し述べたいと思います。

 我が国は,平和主義と国際協調主義の精神に立つ憲法の下に,積極的な外交努力,日米安保体制の堅持及び必要最小限の自衛力の整備を行うことをもって,安全保障政策の基本としています。

 自衛力の整備に当たっては,我が国は,専守防衛を旨とし,近隣諸国に脅威を与えるような軍事大国にはならないと決意しており,この旨様々な機会に繰り返し宣明してきました。私も日本が戦後一貫して維持して来たこの防衛の基本方針を忠実に守っていくべきだと考えています。なぜなら,これは単なる一つの政策ではなく,過去への厳しい反省に立った日本人の強く変わらぬ国民感情に根ざしたものであるからであります。

 私は,このたびの訪問を通じ,我が国のこの安全保障に関する考え方について各国の首脳より十分の御理解を得ることができたと考えております。

 もとより,世界の平和のためには,あらゆる軍備が管理され,縮小されることが望ましく,これは世界の人々の切望するところであります。現在,米国がソ連との間で行っている軍備管理交渉が進展し,米ソ首脳会談が開催の運びとなることを希望するものであります。

マハディール首相閣下並びに御列席の皆様

 次に私は,21世紀に向けて日本とASEAN諸国の協力関係を真に実りあるものとするため,新たに何がなし得るかにつき申し述べたいと思います。

 我が国は,開発途上国の国造りに対し,経済協力を行うことを,自らに与えられた役割の一つであると考えています。我が国がここ数年来,極めて苦しい財政事情にあるにも関わらず,新中期目標を立ててODAを拡充してきているのもそのような認識をもっているからであります。私は,ここに,今後ともASEAN諸国を日本の援助の最重点地域とするとの政策は不変であることをお約束いたします。また,経済協力を進めるに当っては,農村・農業,エネルギー,人造り,中小企業の分野に重点をおくとの基本政策を続けていきたいと考えています。

 私は,このような基本政策に立ちつつ,日本とASEAN諸国のより“幅広い交流”をめざし,次のような新しい側面に力を入れていきたいと考えています。

 第1は,産業技術の移転です。開発途上国における産業開発を進めるに当っては,先進工業国からの生産技術及び経営管理技術の移転と伝播を促進することが不可欠です。もとより,これらの移転は,貿易,投資等に伴って行われ,主として経済合理性に基づく民間企業の自主的判断に関わるものであります。従って,民間の発意と活力を用い,民間レベルの協力体制を強固ならしめなければなりません。すでに日本とASEANの民間団体の間でこの問題についての話し合いが行われていることは歓迎すべきことであります。

 同時に,日本政府としても,ASEAN諸国の政府との協議を重ね,技術者の派遣,研修生の受け入れ等を通じ技術移転が容易となるような環境づくりに意を用いていきたいと思います。

 また,我が国がこれまでに実施した経済協力にかかるプロジェクトが最大限有効に活用されることが援助効果を高める上で,重要であると考えます。この観点から,政府ベースでの協力に適したものにつき既存のプラントの生産性を向上させる等これを再活性化することを目的として,操業,保守,管理等に関する技術の移転を図るための「プラント・リノベーション協力」をASEAN諸国の御要望に応じ行う用意があります。

 第2は,科学技術面での協力であります。科学技術の振興こそは限りなき未来への可能性を開くものであり,ASEAN諸国は科学技術発展の重要性に着目され,域内協力を推進すべく検討を行っています。

 我が国は,すでに科学技術面で種々の国際協力を進めておりますが,私は,科学技術の進歩の成果を,可能な限り,ASEAN諸国とも分ち合いたいと念じております。このような観点から,農業工学,工学,医学,基礎科学,更に先端技術等の各分野にわたり,日本・ASEAN間で科学技術面での協力を推進し,意見交換し合う定期的な会議を開催することは極めて有益と考え,ASEAN各国首脳にお話しいたしましたところ,御賛同が得られました。私は,ここに,科学技術に関する専門家会議及びより高い視点からこの重要な問題を検討するための閣僚会議の開催を提案する次第であります。

 第3にして最も重要な分野は,人的交流であります。

 日本とASEAN諸国がより強固な友好関係を構築するためには,国民同士が,相互理解を深め,友情と信頼に基づく人間関係を育てなければなりません。

 幸いにして,今日,日本とASEAN諸国の間の人的な交流が次第に拡大されていることは喜びに堪えません。日本においても,近年,ASEAN諸国に対する幅広い関心が高まってきました。

 日本政府としては,これまでにもASEAN諸国との人的交流を重視し,各種の計画を実施してまいりました。私は,この既存の計画に加え,ASEAN諸国から今後5年間に3,750人の未来の国造りを担う青年,並びに青年教師の方々を学校休暇等を利用して日本にお招きし,我が国とASEANの将来を日本のカウンターパートと語り合っていただく機会をもうけたいと思います。このような人々の肌を触れ合う交流の中から,新世代の日本とASEANの関係が築かれ,平和と繁栄を分かち合う息の長い相互理解と真の友情が芽生えてくるものと確信してやみません。そして,もしASEAN諸国の御同意が得られるならば,日本からもASEAN諸国に若者達を派遣し,同様の交換を行わしめたいと考えております。このような交流により親しい友人となった若者達が,たくましく成長し,それぞれに各国社会の中枢に位置するようになった時,日本とASEAN諸国の間の協力関係は,揺るぎないものとなり,それは,世界のために未来を開く新しいアジア文明創造の一つの推進力となるでありましょう。

 この次代を担う人々の交流,名付けて「21世紀のための友情計画」(Friendship Program for 21st Century)は,私が青年時代から抱いてきた“未来を開くアジア”という夢の実現への一歩でもあります。

マハディール首相閣下,並びに御列席の皆様

5.私は,ASEAN5か国を歴訪してまいりましたが,各国の首脳の方々と懇談するに当たり,でき得る限り,率直かつ端的に,自分の思うところをお話ししてまいりました。各国首脳もまた,私に対して同様の対応を示されました。とりわけ,ここに御列席のマハディール首相閣下からは,味わいと哲理に満ち,核心を衝く御意見を伺うことができ,極めて裨益するところがありました。ASEAN地域は,国政の経験が長く,奥深い智恵を有する指導者に恵まれています。私は,この旅行において,我が国の周辺にこうした賢人達がおられることが如何に心強いか改めて感慨を深くした次第であります。

 私の今回の各国訪問における願いは,まさに,このようなすぐれた指導者の方々との間に理解と友情に基づく個人的な交流の関係を構築し,もし問題が発生しても,直ちに電話を取り上げて,互いに忌憚ない話し合いができるようにすることでありました。そして,私は,いまその願いが満たされた喜びを感じております。

御列席の皆様

 私のASEAN諸国訪問の旅も終りに近づきました。美しい風景に心を奪われ親しくなった友人と楽しく語らううちに,時は矢のように過ぎ去って,今はもはやお別れの時であります。この間に受けた篤く暖かいおもてなしは,忘れることができません。私は,このASEAN諸国の皆様方の御好意を日本国民への友情のあかしと受けとめ,明日当地を出発し,帰国の上は,これを日本国民に伝えたいと思います。