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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] ソ連共産党第20回大会におけるフルシチョフ第一書記の秘密演説(スターリン批判演説(フルシチョフ第一書記))

[場所] 
[年月日] 1956年2月25日
[出典] 現代国際関係の基本文書(上),一般財団法人鹿島平和研究所編,日本評論社,775-782頁
[備考] 
[全文] 

 ヴラジミル・イリイッチ[レーニン]は言っている。「スターリンは過度に粗暴である。この欠点は私達のあいだ、あるいは私達共産主義者間のつきあいでは、こだわらずに、大目にみることができるが、書記長の地位にある者としては、この欠点は大目にみるわけにいかない。そこで、スターリンを書記長の地位から除き、別の人を選ぶことを、私は同志諸君に提案する。その人は、何よりもまず、ただ一つの資質でスターリンと異っていなければならぬ。つまりスターリンよりも寛大で、もっと忠誠で一層親切で、同志達に対してもっと思いやりが深く、気紛れでない等々でなければならない。」

 (中略)

 後に生起した事態の示すようにレーニンの心配は適中した。レーニンの死後初めのあいだは、スターリンはまだレーニンの忠告に注意を払っていたが、後にはヴラジミル・イリイッチのきびしい訓戒を無視し始めた。

 党と国家の指導に関するスターリンのやりかたを分析し、スターリンがやったすべてのことを考えてみると、レーニンの杞憂は適中したと確信しないわけにはいかない。スターリンの否定的な資質は、レーニンの生きていたころには、まだ芽生え程度だったが、後年にはスターリンによる権力の重大な濫用に転化し、わが党に測りしれぬ損害を与えた。

 (中略)

 スターリンは人々を説得し説明し、辛抱強く協力して行動することを知らなかった。自分の考えを押しつけ自分の意見に対して絶対服従を要求した。スターリンの考えに反対し、自分の見解を主張したり、自分の立場の正しさを証明しようと試みた者は、誰でも指導的集合体から除かれ、ついで精神的にも肉体的にも抹殺される憂目を見なければならなかった。このことは、特に第17回党大会以降の期間についていえる。誠実で、共産主義の大義に献身した多くの著名な党指導者や一般党活動家がスターリンの圧制の犠牲となったのである。

 (中略)

 スターリンは「人民の敵」という観念を思いついた。この言葉は論争に参加した一人または数人のイデオロギー上の誤りを証明することを自動的に不必要にした。この言葉は、ほんのわずかでもスターリンと意見を異にする者、敵対的意図を抱いていると疑われるだけの者、あるいは評判の悪い者に対し、一切の革命的法秩序の基準に違反して、最も残酷な弾圧を加えることを可能にした。この「人民の敵」という観念は、いかなるイデオロギー闘争の機会をも事実上排除し、何らかの問題、実践上の問題でさえ自分の見解を明らかにする機会を奪い去るものであった。概して実際に有罪の唯一の証拠として使われたものは、現代法科学の一切の基準に反して被告自身の「自白」であった。しかも、後に審査の結果明らかとなったように、被告に対する肉体的圧迫を通じて、「自白」を入手したのである。

 (中略)

 第17回党大会で選ばれた党中央委員と、候補の総数139名のうち、98名、すなわち70%が、逮捕銃殺(たいていは1937~38年に)されたことが明らかとなった。

 (中略)

 中央委員ばかりでなく、第17回党大会代表の大多数も同じ運命に遭遇した。票決権または諮問権をもつ代表1966名のうち1108名、すなわち、半数よりも遥かに多くが、反革命の犯罪で逮捕された。この事実そのものがすでに述べたように、第17回党大会参加者の大多数に対する反革命罪の告発が、いかにでたらめで、無茶で、常識に反したものであるかを物語っている。

 (中略)

 わが国の小説、映画、歴史上の学術研究をみると、大祖国戦争でのスターリンの役割が、まるでありそうもないように描かれている。スターリンは何もかも見透した。ソ連軍はスターリンがとうの昔に考えついた戦略計画にもとづいて、いわゆる「積極的防衛」戦術を実施したことになっている。この戦術は、今日私達がすでに知っているように、ドイツ軍をモスクワやスターリングラードまで迫らせたものである。ソ連軍はこうした戦術を実施して、もっぱらスターリンの天才のお蔭で、攻勢に転じ、敵を圧服したというわけだ。ソビエトの軍隊をもって、わが英雄的な民衆を通じてかちえた勝利は、この種の小説や映画、「学術研究」では、全部が全部スターリンの戦略的天才のせいということになっている。

 (中略)

 戦争中や戦後に、スターリンは戦争の初期にわが国が経験した悲劇が、ソ連に対するドイツ軍の「不意討」の結果であるという命題を打ち出した。しかしながら、同志諸君、これは全く真実ではない。ヒトラーがドイツで政権を掌握するやいなや、彼は共産主義の根だやしを使命とした。ファシスト達はこのことを公然といっており、計画をかくそうともしなかった。この侵略目的を達成するために有名なベルリン=ローマ=東京枢軸のようなあらゆる種類の条約やブロックを結成したのである。戦前期の多くの事実は、ヒトラーが対ソ戦を始めるために着々と準備を進め、ソ連国境附近に、機甲部隊を含む大兵力を集結したことを物語っている。

 (中略)

 ソ連領土に対するドイツ軍侵入の脅威に関するこの種の情報がわが国の軍事筋や外交筋からも届いたことを指摘しておかねばならない。しかし、指導部がこの種情報に偏見を抱いていたので、報告もおそるおそる送られ、内容も控え目なものであった。

 (中略)

 このような特に重大な警告にもかかわらず、しかるべき防衛の準備を進め、不意を衝かれぬようにするために必要な措置が講ぜられなかったのである。

 (中略)

 わが国の工業が的確に、かつ時機を失せずに動員され、軍に必要器材を供給していたならば、戦時の損害は著しく小さかったことであろう。だが、こうした動員は時機に遅れず開始されはしなかったのである。しかも、すでに緒戦当時にわが軍の装備が劣悪で、敵を撃退するために十分な火砲や戦車や航空機をもっていなかったことが明かになった。

 (中略)

 特に戦争の勃発当初において遺憾千万な結果を招いたのは、スターリンがかれ自身の猜疑と他人の中傷的非難のため、1937年から41年にかけて多くの軍司令官や政治家を殺したためである。この期間中、文字どおり中隊長、大隊長の水準から始まって、軍中心部に及ぶ一部軍幹部に対して弾圧が加えられ、スペイン及び極東において軍事的経験を得た軍幹部は、ほとんど完全に抹殺された。

 (中略)

 スターリンのわがままは、ソ連の国内生活に関する決定のみならず、ソ連の国際関係においてもそれを示した。

 中央委員会7月総会は、ユーゴスラビアとの紛争発展の理由を詳細に検討した。この問題でスターリンが演じたのは恥ずべき役割であった。「ユーゴスラビア事件」は同志間の党の討議により解決できないどんな問題も含んでいなかった。この「事件」が発展すべきなんら重要な基礎は存在しなかった。ユーゴスラビアとの関係の決裂を阻止することは、まったく可能であった。

 (中略)

 諸君はスターリンの気ちがいじみた権力欲が、どんな結果を招いたかをみている。かれは完全に現実の感覚を失っていた。かれはソ連国内の個人との関係においてのみならず、すべての党と民衆との関係においても、猜疑と思い上りを示したのである。

 (中略)

 私達は「医師団陰謀事件」についても想起しよう。実際には、女医ティマシュークの言明以外には、何も「事件」はなかった。彼女はおそらく誰かに(彼女は国家保安機関の非公式協力者だった)使嗾され、もしくは命令されて、スターリンに手紙を書き、その手紙のなかで医師達が医療上、不適当な方法を用いていたと言ったのである。

 このような手紙はスターリンにソ連国内に医師の陰謀があるとすぐ思い込ませるのに十分だった。かれは著名なソ連の医師の一団を逮捕するよう命令を発した。かれは自ら逮捕された人達の取調べ方と尋問の方法について助言を行った。かれはアカデミー会員のヴイノグラードフを鎖でつなぎ、もう一人を折檻しろといった。前国家保安相の同志イグナチエフが代表の一人としてこの大会に出席しているが、スターリンはかれにつっけんどんに「おまえがもし医師達を自白させなかったら、笠の台がとぶぞ」といった。

 (中略)

 同志諸君! 私達は、個人崇拝を断乎として、根だやししなければならない。イデオロギー・理論活動と実践活動の両面で、しかるべき結論を導き出すべきである。

 この目的を達成するために、次のことが必要である。

 第一に、個人崇拝をマルクス・レーニン主義と無縁であり、党指導原則と党生活基準に反するものとして、ボリシェヴィキ的に弾劾し、根絶し、どんな形にせよ個人崇拝の慣行を復活させようとする一切の試みと容赦なく闘うことである。

 歴史の創造者であり、人類の一切の物的、精神的福祉の創造者としての民衆、あるいは革命的な社会改造闘争でのマルクス主義党の決定的な役割、さらには共産主義の勝利に関するマルクス・レーニン主義科学の最重要命題を、私達のイデオロギー活動の全領域で回復し、実践することが必要である。

 この点に関連して、私達は歴史、哲学、経済その他の諸科学、あるいは文学や美術の分野で、マルクス・レーニン主義的見地から批判的に検討し、個人崇拝に関連して広く普及している誤った見解を是正するために、大いに努力しなければならない。近い将来、科学的マルクス主義的客観主義に立脚して、編集された真面目な党史の教科書、ソビエト社会史の教科書、内戦と大祖国戦争の諸事件に関する著書を編纂することが、とくに必要である。

 第二に、党中央委員会が過去数年間やってきた仕事を系統的にたゆまず続けることである。その仕事というのは上から下まであらゆる党組織に党指導に関するレーニン主義的な中心原則を導入し、なかんずく集団指導の原則を導入し、わが党規約で規定されている党生活規準を遵守し、最後に広く批判と自己批判を展開することである。

 第三に、ソ連憲法で表明されてあるソビエト社会主義民主制のレーニン主義諸原則を完全に回復し権力を濫用する個人の専横な行為と闘うことである。個人崇拝の悪影響の結果、多年にわたって革命的社会主義法秩序に違反する行為が蓄積してきた害悪を一掃しなければならない。

 同志諸君! ソ連共産党第20回大会はわが党の不壊の団結、中央委員会を中心とする党の結束、共産主義建設の大事業をやり遂げようという党の断乎たる意思を、新たな力をもって発揮した。私達がマルクス・レーニン主義とはまったく無縁な個人崇拝を克服する根本問題、あるいはその重大な諸結果を一掃する問題をあますところなく提起したことは、わが党の、偉大な精神カと政治力を実証するものである。