データベース『世界と日本』(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 連合会議における13のアメリカ連合諸邦による全会一致の宣言(米国独立宣言)

[場所] 
[年月日] 1776年7月4日
[出典] 現代国際関係の基本文書(上),一般財団法人鹿島平和研究所編,日本評論社,457-463頁
[備考] 
[全文] 

 人類の歴史において、ある国民がいままで彼らを他国民の下に結びつけていた政治上の束縛をたちきり、地上各国の間にあって、自然の法や自然の神の法によって本来当然与えられるべき独立平等の地位を主張しなければならなくなる場合がある。そうした場合、人類の意見をしかるべく尊重しようとするならば、その国民が独立せざるをえなくなった理由を、公けに表明することが必要であろう。

 われわれは、次の真理は別に証明を必要としないほど明らかなものであると信じる。すなわち、すべて人間は平等につくられている。すべて人間は創造主によって、誰にも譲ることのできない一定の権利を与えられている。これらの権利の中には、生命、自由、そして幸福の追求が含まれる。これらの権利を確保するために、人びとの間に政府が設置されるのであって、政府の権力はそれに被治者が同意を与える場合にのみ、正当とされるのである。いかなる形体の政府であれ、こうした政府本来の目的を破壊するようになれば、そうした政府をいつでも改変し廃止することは国民の権利である。そして、国民の安全と幸福とに最も役立つと思われる原理や権限組織に基づいて、新しい政府を設立する権利を国民はもっている。もちろん、長く確率されてきた政府を、一時的な理由によって軽々しく変更してはならないことは、まことに思慮分別の示すとおりである。事実、人類の経験に照らすならば、人類は、慣れ親しんできた形式を廃止することによって権利を回復しようとするよりは、災害が忍びうるものであるかぎりは、むしろ堪えようとする傾向のあることが示されている。しかし、権力の一連の濫用と簒奪とが、一貫した目的の下に行われ、国民を絶対的な専制政治の下に引き入れようとする意図を明らかにしているときには、そのような政府を転覆し、自らの将来の安全を擁護する新しい組織をつくることは、国民の権利であり、また義務でもある。これら〔アメリカの〕植民地が堪え忍んできた苦難は、まさしくそうした場合であり、いまや彼らはやむなく、彼らの従来の統治形体を改変する必要をみるにいたったわけである。イギリス本国現国王の歴史は、権利侵害と権利簒奪とを繰り返し行なった歴史であり、すべてこれらの諸邦の上に、絶対的な専制政治を確立することを直接の目的として行われたものである。このことを証明するために、ここに公正な世界に向かって事実を提示しようとするものである。

 彼、イギリス国王は、一般の福祉のために有益にして必要な法律の裁可を拒んだ。

 彼は、彼の裁可あるまではその執行を停止せしめるという規定のない場合でも、その総督をしていくたの緊急の法律を成立させることを禁じ、しかも発効を停止しておいて、その法律をまったく閑却しておいた。

 彼は、広汎な地方を人民に利用させる法律の制定を拒み、〔同法制定の条件として〕人民が議会に代表される権利を放棄することを求めたが、代表権は人民には最も尊いものであり、ただ暴君にとってのみ恐るべきものである。

 彼は、各植民地議会を異常にして不便な地、また公文書類の所在地から遠く離れた地に招集せしめたが、これはもっぱら議会をして疲労せしめて、結局彼の方策に同意することを目的としたものである。

 彼は、各植民地議会代議員が国王による人民の権利の侵害に対して雄々しくも反対したために、代議員を繰り返し解散した。

 彼は、このように解散したのちにおいては、しかも選挙によって新しい代議員を成立させることを拒んだ。その結果、本来消滅することのない立法権は人民一般の手に復帰することとなった。その間諸邦は外部からの侵入と内部よりの混乱という危険にさらされることとなった。

 彼は、諸邦の人口の増大の阻止に努めた。その目的のために、外国人帰化法の制定を妨げ、移民の来住を促進する立法の成立を拒み、土地の新しい取得の条件を厳しくした。

 彼は、司法権の確立を期する法律に裁可を拒むことによって、司法の執行を妨げた。

 彼は、裁判官を、その任期およびその報酬の額・支払いについて、もっぱら彼の一存の下に左右するようにした。

 彼は、数多くの官職を新しくつくり、新任の官吏を無数に派遣して、わが人民を悩まし、その財産を消耗させた。

 彼は、平時において、植民地議会の同意を得ることなく、われわれの間に常備軍を置いた。

 彼は、軍隊をして、文官の権力より独立し、かつ優位に立たしめるようにした。

 彼は、本国議会の越権の立法行為に裁可を与え、その結果本国議会と結んで、わが憲法の認めていない、またわが諸法律の承認していない権限に、われわれを服従せしめた。その立法行為とは次のごときものである。

 われわれの間に多数の軍隊を宿営せしめた、

 その軍隊が諸邦の住民に対して殺人を犯すことがあっても、偽りの裁判によって処罰を免れしめた、

 わが諸邦が世界各地と通商することを禁止した、

 われわれの同意なくして租税を課した、

 多くの事件において、陪審による裁判の利益を奪った、

 無実の犯行を理由として、植民地人民を裁判のために海外へ移送した、

 隣接の王領植民地においてイギリス法の自由な制度を廃して、そこに専断的な政府を樹立し、しかもその境界を拡大して、同時にわが植民地にも同様な専制的な統治を導入する先例ないし格好の手段とした、

 われわれの特許状を撤回し、われわれにとり最も貴重な法律を廃止し、わが政府形体を根本的に変えた、

 われわれの議会の活動を停止し、いかなる事項についても本国議会自体が植民地のために立法する権限ありと宣言した。

 彼は、われわれを、国王の保護外にあると宣言し、われわれに戦争をしかけることによって、われわれに対する統治を放棄した。

 彼は、われわれの海洋を掠奪し、海岸を侵略し、都市を焼き、わが人民の生命を奪った。

 彼は、現在外国傭兵の大軍を輸送しつつあり、もって、最も野蛮な時代にもその比をみない、およそ文明国の元首というにはまったくふさわしくない残虐と背信の数々をもって始められた死、荒廃、専制の事業を成就しようとしている。

 彼は、公海において捕虜となったわが同胞をして、強制的にその祖国に武器を取らしめ、その友人同胞を処刑する者、あるいは逆に自ら友人同胞の手に倒れる者たらしめた。

 彼は、われわれの間に国内の動乱を起こさせ、また辺境の住民に対して、インディアン蛮族の苛酷な攻撃をもたらしめた。インディアンの戦闘法が、年令、性別、貧富の別なく相手方を全面的に破滅せしめるものであることはよく知られている。

 以上のごとき圧制に対しては、われわれはその匡正を、それぞれの段階において、きわめて謙譲な言葉をもって請願してきた。だが、われわれの繰り返し行われた請願は、ただ繰り返し行われる権利侵害をもって答えられたにすぎない。

 このように、どれも暴君の定義となるような行為によって特徴づけられた君主は、自由な人民の統治者となるには不適当である。

 われわれはまた、イギリスの同胞に対しても注意を促すことに欠けるところはなかった。われわれは再三再四、彼らに対し、その議会がわれわれの上に不当な権限を押し及ぼそうと企てていることについて、警告してきた。われわれは、ここに移住し安住した事情について、彼らに想い起こさせてきた。彼らの生来の正義観と寛大な精神とに訴え、相互の結びつきと交渉とを必ずや妨害することになる上記の簒奪行為を否認するよう、血縁の絆を通して訴えてきた。だが彼らイギリスの同胞もまた、この正義と血族の声に耳をかそうとしなかった。それゆえに、われわれは、われわれの独立を宣言する必要性を認めざるをえず、彼らイギリスの同胞を、他国民と同様、戦争においては敵、平和においては友とみなさざるをえないのである。

 以上の理由のゆえに、われわれアメリカ連合諸邦の代表は、連合会議に参集し、われわれの企図の公正なことを世界の至高の審判官に訴え、これらの植民地のよき人民の名において、その権威によって、次のごとく厳粛に公布し宣言するものである。すなわち、これらの連合した諸植民地は自由にして独立な国家であり、また権利として当然そうあるべきものである。これらの諸邦はイギリス国王への忠誠からいっさい解除され、これら諸邦とイギリス国家との間の政治的な結びつきはすべて当然消滅した。諸邦は自由にして独立な国家として、宣戦・講和をなし、同盟・通商の条約を結び、その他の独立国として当然行ないうるいっさいの行為をなす権限をもつものである。

 われわれは神の摂理の加護を信じ、この宣言を支持するために、お互いに、おのが生命、財産、尊き名誉を捧げ合うことを誓うものである。